表題のとおり、初めてのマラソンに出てきました。
普段から昼ランとか、全く走ってないわけでないので、正直軽~く考えていました。
よく30㌔の壁とか言われていましたが、それもまあ気持ちで乗り越えられるくらいのものではないかとか。
目標は、初マラソンでサブフォー(4時間切り)
でも甘かった・・・甘甘でした。
やっぱり普段からちゃんと走ってないと走りきれない距離でした。気持ちでは足は動いてくれない・・・。
一応ゴールにまではたどり着きましたが、「完走」とは口が裂けても言えません。
初マラソンのドキドキも、爽快さも、30㌔の壁も、足の痛みも、全身の疲れも、そして楽しさも、全部身をもって体験したこの週末のこと、忘れないように書いておきます。
【思いつき編】
昨今のランニングブーム、私は特にスルーしていたのですが、うちの自転車部長(←かなりストイックに自分を追い込む系の人)が、近年トライアスロンに挑戦して、すごい成績を出してる。
特に宮古島の大会なんて、数㌔泳いで、百数十㌔自転車乗ったあと、更にフルマラソン・・・。
人間って、やれば何でもできるんだなあと感心する一方で、元々泳ぐのはできないので、走る方なら挑戦できるかとか、変なところで負けん気を出してしまったのでした。
それに、仕事場にもマラソンに挑戦する人は結構いて、お昼休み走ってたりすると、結構勧められる。
あと、自転車の練習と併せて走ることを、自転車で高心拍を維持するのが比較的楽になることも気付いていました。
ならば、思い切って一度と考えてのことでした。
【準備編】
《本番に向けて》
始めてマラソンにエントリーしたのが、去年の大阪、続いて京都もエントリーするも落選し、去年は挑戦なし。
そして今年の大阪、気分的にどっちでもいいなあと思いながらエントリーしたところ、当選。
今思えば、そこからもっともっとがんばってくればよかったんでしょうが、それでも自転車と昼ランと、できる限り取り組んできました。ただ今年は天候不順だったり、体調不良だったり、仕事で悶々としたりで夏の間はなかなか身が入らなかったしなあ・・・。
本番前の1~2ヶ月くらいは、さすがに昼ランだけでは心配があり、休日の1~2時間走とかも予定していたものの、これも風邪を引いたり、足底筋膜炎を発症したり、天候が不順だったりで、結局できずじまいとなりました。
《前日受付》
レース前日の土曜日受付へ。本当なら金曜日、仕事半休くらいで行きたかったんだけど、他の人との休みの予定がかぶってしまい行けず。
受付会場のインテックス大阪は、本番の設営が完了し、すごい受付の人たちの数。
で、終わったらすぐ帰れるのかと思いきや、全部のブースをグリグリと歩く仕組みになっていて、なかなか帰れない。
こちらは、奥さんがPTAの寄り合いで子守も兼ねて子連れだったし、娘の音楽教室のレッスンを終えて、夕方出発な上、明日のことも考えればできれば早めに切り上げて帰りたかったけど、素敵なブースもあるし、あとあの大量の屋台の部屋で、子供たちの買い食いも続き、いつまで経っても帰れず、結局家に帰り着いたのは8時前だった。インデックス大阪遠すぎるよ・・・。
《当日スタートまで》
レース当日は、大阪城のスタートが9時、整列が8時40分、荷物預け締切8時ということで、着いて着替えて荷物整理とか、段取りを考えて、7時過ぎに京橋着に設定、家を6時に出ることにして起床は5時半。
早い時間の電車にもかかわらず、それと見てこれからマラソンを走るんだなあとわかる人たちがたくさん。
京橋に7時過ぎに到着し、大阪城まで歩く。
格好からして本気の人から、ハロウィンにちなんだ楽しい姿の人までたくさん。
公園の入り口付近で着替えを済ませ、荷物を整理。
7時50分頃荷物を預ける。
出走前のトイレは整列場所の近くでと思ったものの、基数が少なく行列が少なかったため、少し戻って並び直し。
男の子の小の行列なのに、結局30分近く並んでいるうちに、整列の締切時間ギリギリで整列場所へ。
当然、セレモニーなんかわからないような後方の場所なんで、スピーカーを通しての声が聞こえるだけ。
8時55分、車いすマラソンがスタートし、更に5分後の9時ちょうどに、マラソンもいよいよスタートとなりました。
【レース編】
さて、9時に号砲が鳴ってランナーたちから拍手が起きるも、私が並ぶMブロックは、いつまで経っても動きなし。
近くのスピーカーからは、DJのお話しががんがん聞こえてる。
やっと動き始めたのは、9時15分を過ぎた頃から。
全体がノロノロと前に動き始める。
とはいえ、走るほどでもないので、ゆっくり歩いて着いていく。
追手前の交差点あたりで小走りになり、9時21分、やっとくさスタートラインを超えました。
それにしてもすごい人。
走るどころではなく、前の人の靴を踏んづけないように、小走り。
う~ん、これは明らかに4時間切れるペースじゃあないなあ(とか、この時点ではまだまだ本気で思ってた)。
もうとにかくず~っと前まで人が並んで走っていて、周りの人たちはカメラがあればそちらに盛大に手を振り、有名人を見つければ追っかけていき、知人を見つければ歩み寄り、沿道の人とはハイタッチをかわし、ものすごい仮装をした人がゆるゆると走っている。
もうこうなれば、後半に不安(想像以上に的中するわけですが)の残る私は気が気でなくなって、隙間を見つけて少しずつ前に出て行くことに。
だから、最初の頃はコース上を右へ左へ、スピードを上げ下げしながら、走っていました(まだこの頃は余裕)。
いつもの昼ランは概ね5㌔なんで、ここまではなんの問題もなし。むしろいつもよりずっと遅いペースなんで、余裕♪。
ただ10㌔過ぎてくると、足に若干の痛み。でも走れないほどでもないし、何せまだまだ4分の1。
まだ、空を見上げて見たり、町並みを確認する余裕もある。
それに、沿道の応援がすごい。
出走している有名人の応援をする人たちはともかく、誰ということもなく、でも誰にでも「がんばれ」と応援してくれる。なんとありがたいことか・・・(最初のうちは)
でも、20㌔あたりに近づくにつれ、足が怪しくなってくる。足が痛い・・・。
いつものふくらはぎとか、足裏とか、そういうことじゃなくて、全体的に、太股とか。
う~ん、まだ半分。OCATが見えてる。
今にして思えば、ちゃんと走れたといえるのは、このあたりまでだったか。
通天閣近くの折り返しを過ぎる頃には本当に余裕がなくなってたまらず立ち止まり、屈伸し、足を伸ばす。
ただ、立ち止まれば次走り出すのが辛くなるので、ペースを緩めつつ、走り方を少し変えてみたり、がんばって腕を振って、何とか足を進めてみる。
30㌔あたり、応援団長の森脇健児がコース上に登場。「勝負はここからやで~」と鼓舞してくれる。
けど、もうこのあたりが限界。足が痛重く、走り続けることができない。
なるほど、30㌔の壁というのはこういうことなのか・・・確かに壁だ。
相変わらず沿道の応援はすごくて、いろんな横断幕も出てる。「足が痛いのはゴールしたら直る」。なるほど、まあなにしろあと十数㌔の我慢。
もう少し行ったら、ものすごい大きな補給所「まいどエイド」があって、食べ物と飲み物をつまみ食い。
本当にありがたい。
ただ、スピードが落ち、足の痛みが辛くなってきたこのあたりで、フルマラソンにエントリーしたことを強烈に後悔し始める。
北加賀屋を過ぎれば、進路は西向きに。ああ、やっと南港の方向に向かい始めたなあ。35㌔ということは、残り7㌔ちょっと。いつもの昼ラン2回分もないのか・・・。2回分!?そんなんで終わってしまうならがんばって走らないと、とか、いろいろ思ってみても、どうがんばっても少し走っては歩く、そんなペース。
沿道の応援は途切れない。う~ん、ここまで来るとありがたいを通り越して、歩くのが申し訳ないというプレッシャーに変わる。この中には、今年の抽選に外れて、走りたくても走れない人もいると思うと、その人たちの分もとか思い直して、走ることをがんばろうと思い立ったり、でも無理だったり。
心臓破りの南港大橋、心臓破りというよりは、足の関節壊しの風情。むしろ下り坂が、気を抜くと間接からガクッと崩れそうで、歩いて進むのが精一杯。
南港に入ってからも、いつもなら少しの距離なのに、なかなかたどり着けない。
前半、いい調子でたくさんの人を抜いたけど、ここに来てもうすごい勢いで置いて行かれる。
まあ仕方ないな。でもここまで来たらゴールにまではたどり着きたい。
もう十数分で終わってしまう名残惜しい気持ち・・・は少なくともこの時には微塵もなく(笑)何しろ早くゴールして、へたり込みたいその一心。
南港島を大きく回り込み、やっとくさインデックス大阪が見えて、残り220mでゴールの横断幕が見えた。
最後の気力でもう一度走り出して、左に曲がると、向こうにゴールゲート。
う~ん、最後だけってのもなんだけど、まあ終わりよければ全て良しか。
もうほとんど残っていない気力とともに何とかゴールしました。
疲れた・・・・。
【その後編】
「ゴール付近には立ち止まらず、ランナーの皆さんは前に進んでくださぁい」とのアナウンスは十分に聞こえてるんだけど、もう立っていることもできないので、一度、通路の脇にしゃがみ込む。
本当は、ゴール周りの様子とか、写真もとってみたかったけど、電話を取りだして写真を撮るのも億劫で。
少し、休んで、他のランナーの流れに乗って、完走メダルとタオルと、朝預けた荷物を受け取り外へ。
更にもう一度座り込んで、靴のひもを緩めて、Tシャツだけ着替えて、長らく待っていてくれた自転車部長の下へ。
なんと、部長は3時間少々でゴールされてたので、都合2時間は待ってもらってた。申し訳ない。
会場から駅までの道のりは、硬く棒のようになった足にはあまりにも遠く、階段の段差はあまりにも大きく、すし詰めの電車で席に座れたのは、本当にありがたかった。
部長と別れた後、奈良経由で帰途へ。
もう乗り換えのホーム移動の階段が辛くて。
最寄り駅まで迎えに来てくれた奥さんの車に倒れるように乗せてもらって、何とか家まで帰り着いたのでした。
子供たちは前日「お父さん、べったこになったらあかんで」とたいそう心配してくれました。この日も盛大に迎えてくれたのだけど、この出迎えを受け止める体力も気力もほとんどなく、この日は晩ご飯の段取りも奥さんに任せて、早々に布団へ。
何しろ、家の中で動くのさえ、何かものにつかまらないと立ち上がることも、歩くこともできなかったので。
《翌日以降》
レース翌日は、どれだけ仕事を休もうかと思いましたが、 マラソン走ってきて足が痛くて休んだというのは、言い訳としてはひどい部類に入ると思い、結局出勤しました。
ただ、家から駅まで、駅での乗り換え、駅から職場までの徒歩は、いつもの1.5~2倍の時間がかかりました。
一晩ではひとっつも足は回復していません。というか、寝ていても寝返りのたび足が痛み、そのたびに目が覚める始末。
足は、上から両股関節、両膝関節(内側、外側)、両足の甲(ひもがきつかったのかなあ)、両足裏(特に左)の痛みがひどく、筋肉痛という感じはありません。いや、あるのかもしれませんが、各関節の痛みでわからないだけなのかもしれません。
これだけかなあと思っていたら、両腕(走るときに振ってた腕)の他、背筋、背中~肩にかけても筋肉痛の他、肺も(大きく息を吸うと、息を吸う筋肉が疲れていることがわかる)。
この他、胸の下に巻く心拍センサーのあたる部分がひどくすれてミミズ腫れに。
まあ、普通考えたら5時間近くも連続で歩いたり走ったりするようなことは普段の生活ではないし、当日の行き帰りも含めたら更にもう2~3時間くらい立ちっぱなしなわけですから、当然か。
今の段階では、これ本当に回復するのかしらとか、真剣に思っています。
【まとめ】
《装備》
靴:ティゴラ(アルペンのプライベートブランド)の3時間向け
普段の練習で何ら不具合は感じなかったけど、これだけ長距離を走るといろいろある。
足底筋膜炎対策で、靴紐をきつめに締めてたけど、それが原因と思われ、両足の甲が盛大に内出血。
紐をそこまで締め付けなくても足が暴れないようなものを探す必要があるのかも。
靴下:ユニクロのスポーツ靴下
特に不具合は感じない。
練習にも使って、数回洗濯もしたので、靴の中で滑る感覚もなかった。
上:Tシャツ
ティゴラのドライTシャツ。これも特に問題なし。
下:短パン
ちょっと長めだった。もっと短くて軽量のものでもよかった。
この他、天気が良かったので、20㌔あたりまではアイウェアを装着。また、貴重品等を入れたランニングポーチを腰に巻いた。
あまり形から入る方ではないし、普段の練習は適当な格好でしているけど、やっぱりこれだけの距離になると、道具もある程度ものを言うと思う。
足は、コンプレッションを身につけてもよかったと思う(ほとんどの人が付けてたし)。付けてたらどうなってたかなあ?。まあ今回の場合は、どちらにしてもどうもならないくらいの状況だったでしょうが。
《補給》
スタート時、アミノバイタルを2本持った。(20キロくらいまでで消費)
途中、結構暑くて、結構最初のうちから給水を取った。
水分不足と強く感じることは少なかったけど、結構汗はかいてたし、補給後すぐ汗が噴き出る感じがあったので、もっと積極的に給水してもよかったのかもしれない。
魅力的な給食は、クッキー、バナナ、なんかを少量ずつもらった程度。
もっと摂ってもよかったのかもしれない。
《練習等》
週に数回の昼ラン(5キロ弱)で臨んでしまいました。この他に自転車にも乗ってたので、心肺的には大丈夫かなあと甘い認識でいました。
でも、ものの10キロほどで、足に痛みが出てきたので、やはり普段から長い距離を走ってそれに慣れる練習をしておかないとダメだとわかりました。
1キロ5半分で10キロ55分時間、20キロ1時間50分とか。まあこれくらいの時間を本番までに複数回走る機会を作らないと、やっぱりいきなり何十㌔ってのは無理のようでした。
ただ、今の生活の中で、1時間、2時間とか、走りに出る時間というのは、なかなか取りづらいなあ。
あと、体重ももう少し絞るべきでした。スタート前日の68キロは、ベストから約2キロ増。
《今後に向けて》
さて来年というか、次回の話。
昨日終えて、今日、今の体中の痛みを持って、すぐに来年の話ができるかといえば、全くそんな気はありません。
だって、これが最初で最後のフルマラソンだと思って挑戦したもんで。
今は、痛んだ関節、筋肉を治すことが先決で、早く日常の生活に戻れるようにしなければ。
そしてその後の話。
この歳にして初マラソンゴールしたという点については、人生の大きな1ページにはなりましたが、4時間切りという大きな目標を持っていて、結局それを達成することができず、最後まで走り抜くこともできなかったという状況は、全くもって精神衛生上よくありません。
うちの自転車部長は、今回をきっかけに、このシーズン、もう1レースぐらい出てみればいいって言います。そうでないと今回の経験が生きないと。
確かにそうかも。でも今はなあ・・・。
でももう1回、もし、来年の大阪マラソンに出るとしたら、今度はちゃんと最後まで走り切るための練習をして臨んでみたいという気持ちはあります。
来年のエントリーはまたGWあたりが締切なのかなあ。
その頃までに気持ちも体も癒えてたら、エントリーしているのかも。でも、大阪マラソンって結構な倍率だし、そういう意味では来年リベンジできるかどうかはわからない。どうか神様、来年も当選しますように!・・・ってあれ?出走したい前提の話になってる?。
何しろ、(万が一)次があれば、次こそはもう少しちゃんと計画的に体力面と、精神面と、道具を準備して臨みたいですね。当面は走ることをやめられないということになりそうです。